アラフィフmikiの覚書

50歳からできること

ノートというツール

やっと日常が戻ってきた。

さあ、秋に向けて整えよう。

 

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さて、私は方眼ノートトレーナーである。

しかし、ノートを手渡す講座は一度もしていない。

先日同期のアクションで、この一年を振り返るノートを一枚仕上げた。すると、私は自分がこのタイミングで方眼ノートトレーナーになった事は、この一年を過ごすための神さまの図らいであったことに気づいた。

 

何か、を求めて手当たり次第に色々なセミナーやら資格講座を受けてきた。アラフィフ木星期はティーンエイジ金星期のやり直し。ホント、それを地でやってる感満載だ。ワイヤーも然り。キラキラ乙女なものや、創り出すということに惹かれるのはあの頃の私のやり残しなのだ。

 

私の方眼ノートトレーナーの歴史は乳がん診断と共に始まる。養成講座を受けながら受診し検査し診断を受けた。

トレーナーになったら仕事に活かし、もっと利用者さんに寄り添う管理栄養士でありたいとか、子どもを信じ切る母親でありたいとか、なんなら先輩トレーナーさんたちのように副業でたんまり稼ぎたいとか思っていた。

しかし、がん認定で世界はくるっと変わった。

養成講座を修了したひと月後には抗がん剤治療が始まり、脱毛し、浮腫みで体重はアップダウン激しく、夜は20時にはベッドに入らないと体力がもたなくなった。

それでも、オンラインで講座を受けたりミーティングに参加したり、コラムに対してノートを書いてコメントしたりした。

 

同期や先輩トレーナーさん、そしてどんどん増える新しいトレーナーさんたちの活躍や行動を眺めながら、歯痒い思いもたくさんした。

その都度、ノートに書いてみたり書くこともできなかったり。

 

そんな一年を過ごして、改めて書いた先日のノートは感謝に溢れていた。

 

想定外の出来事さえ、まるっと受け入れ感謝ができるなんて。

 

強がりかも?再発転移したら崩れ去る感情かも?

 

それさえ、私にとってワクワクする未来になっている。

 

人生は今この瞬間の積み重ねであるという事実。私は私の人生を終える時、にっこり微笑んで眼を閉じたい。全ての体験は私にとって宝物だったと感謝して旅立ちたい。

 

方眼ノートトレーナーになっていなかったら?

どんな一年を過ごしただろう。選ばなかった未来はわからないが、それはそれで別の人生だったのだろう。

 

ノート。

手にするべきツールだ。